原作アニメの地獄先生ぬ~べ~が面白い理由

ぬ~べ~の面白い所は『妖怪』という未知のもとに対して
絶対の悪と判断せず、理解し歩み寄ろうとしている点だと思っています

雪女のゆきめや妖狐の玉藻はもちろんのこと
ぬ~べ~が退治した妖怪に関しても
何故、人間を襲うのか?何故、妖怪になったのか?

そういった細かな設定がなされており
単なる妖怪退治の物語に終始していません。

妖怪は絶対の悪ではない

例えば『妖刀はたもんば』の話。
はたもんばは罪人の処刑に使用されていた刀が妖怪に変化したもので作中では、ぬ~べ~の教え子、克也に襲い掛かります。

問答無用で克也に襲い掛かるはたもんばですが、実は克也が賽銭を盗んでおり、はたもんばは罪人を処刑するという行動原則に則って行動しています。

この点ではたもんばは単純に悪とはみなせないですよね?
(500円の賽銭泥棒で死罪はやりすぎですが)こういった細かな設定は作中の多くの妖怪になされており、アニメ版では作者自ら説明する場面もあります(笑)

さて、はたもんばに襲われている克也は学校に逃げ込み、ぬ~べ~に助けを求めます。
ぬ~べ~がはたもんばを退治してハッピーエンド、と最終的にはなるのですが、はたもんばと対峙したぬ~べ~は今にも襲ってきそうな相手に対し『何故、俺の生徒を襲うのか?』と問い、いきなり戦うのではなく事情を理解しようとします。

妖怪に襲われたから反撃する、と判断しない点が他の妖怪を題材にした作品にはない、ぬ~べ~の面白いところだと感じています。

鬼の手のみじゃない?叙霊の方法

ぬ~べ~の面白さの一つに力で物事を解決するだけではない点が挙げられます。
鬼の力を使用し妖怪を成仏させるだけではありません。

貧乏神がぬ~べ~に取り憑く話では、鬼の手を使ってもぬ~べ~が思いつくいかなる方法を使っても叙霊できませんでした。
そのため、貧乏になり果て精神的にも折れかけるぬ~べ~ですが周囲の人々がぬ~べ~に集まり、ぬ~べ~を励まします。

『貧乏でも仲間がたくさんいる』とぬ~べ~は自覚し、それを見た貧乏神は『金がなくても希望をもっている人間が一番苦手』とぬ~べ~から去っていきます。

ぬ~べ~はジャンプ連載開始から読んでおり、アニメ版もリアルタイムで観ていた世代の私ですが、子供ながら本当に大切なものとはそういうことなんだろうなーと、感じるものがあって大人になっても記憶に残っています。

このように単純に力だけで物事を解決せず、味のある解決方法に持ち込むあたりもこの作品の面白さだと思います。

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